気まぐれ日記 つぶやき
1994年9月29日
子供の頃、見えていたものがどうして今、見えないので
しょうか。
大人になって年をとると注意力や好奇心が薄れるからでし
ょうか。
想像力が無くなって現実的になるからでしょうか。
子供の頃は、道を歩けばアリが列を作って這っている様
子がすぐ目につきました。自分の体の数十倍の獲物をあっ
ちへ引っ張りこっちへ引っ張り大変な労働です。まっすぐ
巣穴へ運べばいいものをどうして、回り道をするのでしょ
うか。時々私は見かねて巣穴の所へ運んであげたりしまし
た。そんなアリ達の様子を観ていると何時までも飽きませ
んてした。
畑や田んぼのあぜ道を歩いているとカマキリがバッタを
捕まえ、蝶が飛び交い今では想像出来ない様な自然があり
ました。小さくても花があると蜂が飛び回り少ない蜜を集
めていました。春から初夏にかけての空気は花の匂いで満
ちていました。あぜ道のハルジオンやヒメジオンの花に小
さな黄金虫が付いていました。微かな甘い香りに誘われ、
感じ取れない程の僅かな蜜や花粉を求めて、集まってきた
虫達です。羽化したばかりのお腹を空かした虫達が最初に
口にする食事です。身体中花粉だらけになって、とても嬉
しそうで、楽しそうでもぞもぞ動いていた姿が今でもはっ
きり記憶に残っています。子供の頃は確かに見えたのです。
しかし、最近は全く見えません。
暗闇では何かが居る様に見えました。
自分の家の裏庭にも何かがいました。
お寺の墓地にも何かがいました。
誰も居なくなった放課後の学校にも何かがいました。
学校の北側の隅のトイレにも何かがいました。
真夏の異様に熱い無風の河原にも何かがいました。
公園にも原っぱにも何かがいました。
カブトムシやクワガタのいる雑木林にも何かがいました。
プールで水を飲み溺れかけた時、足を引っ張る何かがいま
した。
夜、歩いていると背後で足音が聞こえ影がみえました、す
ぐ後ろに何かがいました。
心臓に触れる怪奇で恐怖の手触りが感触が今も感覚として
残っています。あの時、気持ちに逆らってその場から逃げ
なかったら、こうして生きていなかったかも知れません。
子供の頃、一人になった時に確かに何かが見えたのです。
しかし、最近は全く見えません。
子供の頃は、神様が見えました。奇跡も信じていました。
何時も何処かで見ているようで、悪いことは出来ませんで
した。サンタクロースも見えました。クリスマスになると
枕許に楽しい絵本を置いていったり、毎日が面白おかしく
過ごせるのは全て神様のせいだと思っていました。朝にな
るのが待ち遠しくて憂鬱というものを知りませんでした。
今では、夜が開け朝になるのが憂鬱です。目を閉じて眠っ
たら、そのまま楽しい夢の世界で過ごしたい。そんな風に
思うようになりました。最近は誰かに見られている感じが
しません。神様の視線が感じられないのです。
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